本コーナーではコラムをはじめとして、きもつきを題材としたさまざまな読み物を用意しました。どうぞじっくり、ゆったりお楽しみください。
コラム(アーカイブ)
「不撓不屈」小野田寛郎・元陸軍少尉をしのぶ
2014.02.14(金曜日)    中川十郎(なかがわ じゅうろう)
(※以下は株式会社 財界研究所が発行しているビジネス誌「財界」2014年2月25日号に掲載された記事を同誌編集部の許可を得て転載したものです。ただし、写真を除きます。)

重い雪にもしなって折れない竹

小野田寛郎さんが逝去された。1月17日早朝、遺族より連絡を受け、突然の訃報に言葉を失った。

小野田さんに創設時より名誉顧問を22年間お願いしている日本ビジネスインテリジェンス協会の昨年12月の年末情報研究会・懇親会のご案内に対し、小野田さんご夫妻は年末にブラジルの牧場を訪問中で、参加できないと留守役の親戚の方から連絡を受け、帰国されたら新年早々お目にかかりたいと思っていた矢先であった。

今から37年前の1977年7月、ニチメン(現双日)のリオデジャネイロ支店駐在時代、懇意にしていた朝日新聞の故・菊池育三・南米特派員より小野田さんご夫妻を自宅に呼んだので、「どうぞ」と言われ、夫婦でお目にかかったのが最初だった。

小柄で物静かな紳士だが、鋭い眼光が印象的だった。物腰がやわらかく、話をうかがっていると、ものの見方がとても柔軟で、重い雪にもしなって折れない竹を連想した。このような柔軟性が30年の過酷なジャングルでの戦闘を生き延びられた原因だろうと想像した。

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1974年にフィリピン・ルバング島で「発見」された後に撮影された写真
※写真:左は鈴木紀夫氏撮影、右は元東京新聞写真部長・佐藤健三氏撮影

小野田さんは若い頃、商社マンとして中国・漢口(現・武漢)の田島洋行で漆の輸出を担当。当時、同じビルにあったニチメン漢口支店の若手とダンスホール通いもしたと、商社マン同士で話が弾み、急に親しくなった。以来今日まで実に37年間のお付き合いをしていただいた。人生の御縁とはまことに不思議なものだ。

リオ勤務後、私はサンパウロ本店に転勤となった。小野田さんが牧場を経営しておられたブラジル南部のマットグロッソからはバスの直行便があるため、サンパウロに買い出しや打ち合わせに来られる際は、わが家を定宿にしていただいた。

風呂を提供すると使用後、かならずきれいに風呂掃除をされ、翌朝はベッドもシーツやカバーもきちんと片づけられ、恐縮したのを思い出す。ご両親とも学校の先生をしておられたとのことで、若い時の親の教育が行き届いていたことを痛感させられた。

少年が親をバットで殺した悲惨な事件に心を痛められ、小野田さんは日本の青少年教育に力を入れる決意をされ、私財を注ぎ込み、「小野田自然塾」を設立。多くの小中学生がキャンプに参加した。

創設には前記の菊池育三さんと大学に転身していた私も微力ながら協力させていただいた。愛息を失い、青少年教育のために私財を投げうって名門、米スタンフォード大学を創設したスタンフォード氏を手本にして小野田さんは自然塾を創設、運営された。

ある時、横須賀の米海軍基地訪問にご一緒させていただいた。自然塾の話を聞いた米海軍基地司令官が自分の子供も自然塾に派遣したいと申し込まれ、米軍基地の子供たちが自然塾に参加し、日本の子供たちと一夜交流したことを小野田さんはことのほか喜ばれた。

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小野田夫妻(右から二人目と三人目)と一緒に記念撮影する中川夫妻(左端と右端)
(2001年8月23日「日本ビジネスインテリジェンス協会」懇親会にて)
※写真提供:中川十郎氏

小野田さんは96年に22年ぶりにルバング島を再訪された。心配していた町枝夫人の予想に反して島民はこぞってヒ‐ロ-を歓迎した。フィリピン空軍が提供したヘリコプターの機上からジャングルを見下ろしながら小野田さんは終始無言であった。

この大密林の中で想像を絶する過酷な孤独の日々を闘い、生き抜いた姿が思い浮かび、通訳で同乗していた私は言い知れぬ感動に突き動かされた。

マラカ二アン宮殿で謁見されたラモス大統領が「あなたが任務に忠実に30年の人生を捧げた行為は人間の鑑です」と熱い握手を交わされたことを昨日のことのように思い出す。

日本人に対する"無言の警告"

2010年7月には私の故郷・鹿児島の母校、高山中学校で「人はひとりでは生きられない」と題して講演をいただいた。個人主義に傾きつつある若者に対して、広く社会に目を向けることの必要性と人に感謝する心を忘れてはならないと強調された。薩摩に1000年伝わる「薬丸自顕流」剣術の顧問にも就任され、剣術関係者が感激した。

12年11月には念願の屋久島を訪問。屋久島中学校で生徒・父兄を相手に、自然に生かされているわれわれは自然を大切に、自然と共生すべきだと、ルバング島での経験を基に講演された。縄文、弥生時代からの屋久杉を見学され、その生命力に感動しておられた。

熱しやすく、冷めやすい日本人の性格で小野田寛郎元陸軍少尉の帰還時のあの熱狂は冷めやり、最近は日本ではかっての英雄・小野田さんは忘れ去られつつある。だが外国では逆である。今も毎月2~3通の手紙が青少年を含めて外国から届く。

「あなたの英文の著書を読んだ。あなたが任務と義務に忠実に国のために30年もフィリピンのジャングルで戦ったのは我々の鑑である。同封の写真の裏にサインをして送り返してほしい。我が家の宝にしたい」と。

ワシントンポスト紙は1月18日付朝刊1面で大きな見出し付きで、異例の詳細な報道をした。小野田さんの英文の著書『My Thirty Years War (わが30年戦争)』は今も米国海軍兵学校の教材として活用されている。年に2回、販売報告が来るが、毎年数千冊の本が米国人に購入され、海軍兵学校の学生や一般米国人に読まれている。日本の防衛大学校で教科書に使われているとは寡聞にして聞いたことがない。

小野田さんは中国、フィリピン、ブラジル、日本での多彩な人生を最後まで真摯に生き抜かれた。軽佻浮薄な現在の日本に在って、われわれ日本人に無言の警告を静かに発せられていたものと思われる。

小野田寛郎さんは澄み渡る大空に赤々と照り映える夕焼けのような晴れやかな「晩晴」の91年の人生を己の人生訓「不撓不屈」の精神で生き抜かれた。安らかにお休みください。       

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