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コラム(アーカイブ)
大隅・邪馬台国説について考える
2013.05.08(水曜日)    中川十郎(なかがわ じゅうろう)
旧高山町(現肝付町)出身の中村敏矢氏は歴史愛好家で、郷里の歴史に思いをはせ、関東在住の鹿児島県出身の有志を集め、3~4か月に1回、大隅郷土史研究を目的とする「なかよし会」を主宰しておられる。

「たとえ世界のどこに住んでいても、故郷に想いを馳せるのは人類共通の感情ではないでしょうか。故郷に生を受け、育ち、今ここに在る。感謝をこめて、故郷に贈ろう、『夢』と『希望』を!! 故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。(温故知新)。愛郷心を奮い起し、大隅の活性化、鹿児島県の発展、日本の飛躍を目指した構想などを語りませんか。今回のテーマは『予言、大隅邪馬台国』(牧歌舎刊)。郷里の歴史研究家、『竹之井先生』宅でこの本を知り、今回の運びになりました。この本を基軸に大隅の古代史を勉強しませんか」との案内に誘われて参加した。会場は水戸黄門ゆかりの旧水戸藩邸の名園、小石川・後楽園にある「函徳亭」であった。

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『予言 大隅邪馬台国』

この本の著者・河野俊章氏は、東串良町の「唐仁(とうじん)古墳群」の「大塚古墳」が卑弥呼の墓で、邪馬台国は大隅にあったと『魏志倭人伝』(280年ごろ)を基に推定しておられる。

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大塚古墳に建つ大塚神社入口

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大塚神社の社殿

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社殿床下にある大きな石の下に石室があり、そこに卑弥呼が眠るとされる

「鹿児島県大隅半島の最南端に佐多があります。その大泊部落で、およそ3000年前の縄文後期の貝塚が発見され、縄文人の居住が裏付けられました。昭和31年のことです。太古の時代、淡色人種の大柄で温厚な性格のポリネシア人たちは『卓越した航海技術』と『稲穂の持ち込み』で先住民に、暖かく受け入れられたのでした。大隅における、大柄な海洋民族と、小柄ながらも機敏な土着民との混血は、体格、頭脳、博愛共に優れた日本民族を誕生させ、優れた体格と頭脳で土着民を圧倒しながら、大隅中央へと発展し、『魏志倭人伝』の『邪馬台国』として九州全域を統括するに至り、繁栄を極めたであろうことは、各地の神話、伝説、点在する遺跡や、古墳群が証明している」と河野氏は推定しておられる。

戦後まもない昭和24年の夏、我が国の古代史の権威・東大の駒井和愛博士が率いる古跡発掘団一行が旧高山町の塚崎(つかざき)の畑地から、鹿児島県下で初めて弥生時代の住居跡を発掘し話題となった。この発掘で磨製の矢鏃(やじり)や弥生式土器の破片などが出土した。

当時、私は高山中学校生であったが、この駒井博士の発掘に参加させてもらい、出土品に感激したことを覚えている。さらに昭和33年には野崎上原の崖面から弥生時代の住居跡が発見された。塚崎古墳群のある花牟礼(はなむれ)地域は弥生時代に相当発展し、古墳時代になってから急速に組織化された集団の地帯であったと思われる。

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塚崎古墳群

昭和20年2月22日文化財保護法により史跡に指定されたこの塚崎古墳群は東串良町の唐仁古墳群、大崎町の横瀬古墳群と一直線状にある関連した古墳群で、古代文化の優位性を物語っていて、史学上、好資料の宝庫でもある。(「わが町の歴史と文化財」―高山町、78ページ)。一方、花牟礼の薬師堂も今から1300年も前の和銅元年(708年)に創建されたといわれており、塚崎一帯は我が国歴史の宝庫である。肝付町としてはこの歴史資産を大いに活用してもらいたいものである。

河野俊章氏は「東串良町に山王屋敷というところがあり、神武天皇降誕地および宮跡と伝える。肝属川中流・宮下(みやげ)に桜迫神社があり、神武天皇生育の地とする。(中略)日本のほかの地には神武誕生伝説はない。すべてこの肝属平野に集中している。神武天皇の両親の『吾平山上稜』は肝属郡吾平(きもつきぐんあいら、現在の鹿屋市吾平町)にある。神武天皇が大隅の人であったことを示す伝説はかなりの数に上る。

ともかくも『邪馬台国が大隅』と考える人はゼロの現状だが、神武天皇の生育地が大隅という判断にはほとんどの人が異論はないと思える」と著書『予言、大隅邪馬台国』(86~87ページ)で述べておられる。

鹿屋市から10キロ程度東側の肝属平野には多くの古墳があり、前方後円墳19基、円墳297基、合計316基となっている。規模の大きい古墳群は東串良町の唐仁古墳群と旧高山町の塚崎古墳群である。大隅の高塚墳は東串良に前方後円墳4基、旧高山町に6基、円墳は東串良に122基、高山に98基あり、大隅ではこの二町が圧倒的な数を誇る。

河野氏は、鹿児島県内の前方後円墳は後代のものを除けば、肝属平野にしかない。肝属平野の歴史は250年過ぎまで、邪馬台国が存在した。前方後円墳もつくられた。その後、奈良へ遷都したとみておられる。(上掲書、80~81ページ、古墳は東串良町教育委員会資料による)

肝付町としては東串良町、鹿屋市などと協力し、大学、地域の高校、中学校も含め、「邪馬台国」、「卑弥呼」、「神武天皇」のロマン伝説研究の振興のため、県内、県外各地から考古学フアンを誘致し、肝付町の伝説、歴史、文化観光開発に努力したらどうだろう。

まず『予言 大隅邪馬台国』の著者・河野俊章氏を招き、文化講演会を開催。「卑弥呼」、「邪馬台国」、「神武天皇」の古代史ロマン発掘ツアーを本格化させることを希望したい。

[追記] 4月21日の上記大隅歴史研究会には下記が参加した。(敬称略・順不同)
中村敏矢(幹事ー旧高山町出身ー以下同)、池袋かつえ(東串良町)、今村勉(旧串良町)、岡留一昭(旧串良町-関東・串良会元会長)、小牧久洋(旧高山町・中馬場)、佐藤靖子(鹿児島市)、平田隆(東串良町・柏原)、本村春人(旧高山町・本城)、用皆政弘(鹿屋市)、中川十郎(旧高山町-関東・高山会、関東・肝付会元会長)。

なお上記研究会に際し、河野俊章氏(広島県・高校英語教師を歴任)はわざわざ広島から著書『予言、大隅邪馬台国』を30冊、さらに『魏志倭人伝』の関係資料などを送呈され、われわれの大隅郷土史研究を鼓舞された。ここに記して厚く御礼を申し上げたい。

次回会合は7~8月の予定。参加希望者は幹事の中村敏矢さん(090-8803-8337)まで。

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