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コラム(アーカイブ)
忘れ得ぬ恩人・米盛幹雄さん(時評社会長)
2013.04.18(木曜日)    中川十郎(なかがわ じゅうろう)
郷里、鹿児島県高山町(現肝付町)の大先輩、米盛幹雄さんが3月10日、急逝された。
 
ベンチャ-精神旺盛で、競争の激しい東京で官庁関係の出版社・時評社を設立し、成功された米盛さんは50年以上、出版情報界で活躍された方で、早すぎた死であった。誠に惜しい人を亡くした。郷里にとっても大きな損失だ。
 
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ありし日の米盛幹雄さん(時評社設立50周年記念パーティにて 写真提供:時評社)
 
米盛さんと私が親しくお付き合いするようになったのは、商社マンとして20年以上にわたる海外駐在を終えて帰国した1990年にさかのぼる。
 
関東高山会で深まったご縁
 
その年の7月、関東高山会(関東在住の高山出身者の会)が浜松町で開かれた。その会合に参加したとき、米盛さんから挨拶せよと指示があった。最後の海外駐在地のニューヨークでの経験も含めて、今後は日本も海外にも目を向けるべきだと強調した。
 
そのあとしばらくして米盛さんが創設に力を注いだ大隅雄飛会に入るように勧められた。会場は当時銀座のクラブを使っており、会長は大崎町出身の東大卒の秀才で建設省住宅局長も歴任された救仁郷斉さんだった。そのあと会場は幡ヶ谷の鹿児島料理店などに移った。数年前、鋪根さんが会長になってから新宿のプリンスホテルで開催されている。
 
米盛さんは義理堅く、万難を排して毎回参加されていた。鹿児島でも町村合併が盛んになった機会に、大隅雄飛会有志が大隅半島の各市町村を巡回し、各市長や町長と懇談しようということになった。そのとき私も米盛さんに誘われて、2日ほどかけて、各市町長と郷土振興について意見交換した。非常に有益な催しだった。その発起人が米盛さんだった。
 
ある時、米盛さんに時評社に呼び出された。用件は関東高山会の会長を引き受けて、関東在住の高山出身者の親睦をさらに強化して欲しいというものであった。私は中学校までの15年間しか高山には住んでいない。高校は現鹿児島市内のラサール。大学は東京。商社に就職後は東京在住。以後20数年は海外駐在で高山の方々との付き合いはほとんどない。
 
だから高山会長は適任ではないと固く辞退した。しかし米盛さんは持ち前の粘りで、そのあと3回にわたり郷里のためにひと肌抜けと説得された。ついに折れて関東高山会長を引き受けた。その間「関東内の浦会」と「関東高山会」の合併に努力し「関東肝付会」を立ち上げた。
 
かくして「関東高山会」と「関東肝付会」の両方の会長を合計7年間経験することになった。いろいろ苦労も多かったが、私にとっては得難い体験をさせてもらった。米盛さんのご要望に少しは沿えられたのではないかと思っている。
 
義理堅く誠実な人柄
 
時評社の研究会でも気にかけていただき、2、3回、発表させてもらった。あるとき東京経済大学の私のゼミ生を時評社に社会見学に引率した。その時も中国や韓国からの留学生に気をつかっていただいた。非常に有益な訓話をしてもらったことなどを懐かしく思い出す。
 
私が隔月で20年以上主宰している情報研究会・日本ビジネスインテリジェンス協会の顧問も10年以上お願いしていた。同じくこの研究会の顧問に豊島格さんもおられた。
 
豊島さんは通産省の貿易政策課長。資源エネルギー庁長官。アブダビ石油社長や丸善石油副社長などを歴任された方である。お父上が鹿児島出身で、小泉純一郎元首相のお父上とも同郷で、懇意であった関係から小泉元首相のお姉さんと結婚されたと聞いている。
 
私がコロンビア大学時代関係のあったノーベル賞経済学者のマンデル教授と小泉首相の面談に際して、豊島さんに協力したことなどを懐かしく想い出す。情報の勉強会に出席する前に、いつも電話があり、「米盛さんは出席しますか。米盛さんが出席するなら久しぶりに会いたいので私も出席する」といわれるのが口癖であった。
 
「米盛さんは非常に人間関係を大切にする人だ。役所を退いた後も、現役時代となんら変わらず、陰ひなたなく誠実に付き合い、義理人情に厚く、役人にも人望のある紳士だ。私も公私にわたり長く付き合っている」と豊島さんは米盛さんを高く評価されていた。その豊島さんも先年、あの世に旅立たれた。
 
米盛さんはいつも出身地の鹿児島や高山とのつながりを大切にしておられた。米盛さんと私との付き合いは23年だった。非常に濃密な交際をしていただいた。人生万般についてご指導願ったことを心から感謝している。この23年間、米盛さんが怒ったことを見たことは一度もなかった。温厚な性格で人情味あふれる方であった。特に奥様や家族思いで、一緒に旅行をすると、いつも家族に土産を買うのを楽しみにされていた。
 
内之浦でのイベント出席が最後の別れに
 
ある年の暮、私の情報研究会の年末懇親会を開いた。その席で、私がブラジル駐在時代以来30数年間お世話になっている情報協会名誉顧問の小野田寛郎・元陸軍少尉ご夫妻を米盛会長にご紹介した。
 
この時のご縁がもとで、昨年4月、康正社長、吉原役員、石井専務などのご尽力で、対談が実現した。終戦記念日の8月15日に待望の対談集『日本の未来を託す』が刊行された。対談には米盛幹雄・時評社会長、俵孝太郎・政治評論家、土居征夫・元通産局長が参加。日野原重明・聖路加国際病院理事長が推薦の言葉を寄せられた。
 
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出版された『日本の未来を託す!』(時評社)
 
米盛会長に少しばかりご恩返しができたのではないかと思っているところだ。
 
2012年11月の内之浦宇宙空間観測所開設50周年と糸川英夫博士生誕100周年記念式典(関連記事はこちら)でご一緒したのが米盛さんとの最後の旅となった。三日間、寝食を共にした。

到着した夜、高山の行きつけの料理屋からホテルに電話があり出て来いと呼び出された。米盛さんの親友の鋪根さんや、お気に入りの立石昭平さんたちも一緒に夜遅くまで飲んだ。

50周年記念式典が終わって、太平洋の見晴らしのよい志布志湾の大黒屋ホテルでお茶をご一緒したのが、この世での最後の思い出となった。
 
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内之浦のイベント会場受付にて(中央が米盛さんで左端が中川先生 写真提供:肝付町役場)
 
早すぎる死であった。もう少し頑張ってほしかった。しかし、令息の康正社長と女婿の吉原さんなど幹部がしっかり時評社を支えていることに安心しておられたので、悔いはないだろう。
 
この上は天国で好きな煙草を人の目を気にせず大いに楽しみ、時評社の行く末を見守っていただきたい。
 

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