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コラム(アーカイブ)
知的好奇心について
2013.04.17(水曜日)    有留修(ありどめ おさむ)
前回のコラム記事「『何もない』田舎で本当にないもの」はアクセス数が2100を超えて、きもつき情報局始まって以来の高アクセス記事となりました。
 
原因はツイッターです。どういうわけか、ツイッターで紹介してくれる人が続出して、その結果、記事の存在が広く知れ渡ったというのが真相のようです(といってもごく限られた拡散ではありますが)。
 
では、なぜそこまでツイッターで反応が出たのか。自分なりに分析するに、やはりそこで取り上げた「田舎の根本的な問題=知的インフラの欠如」という図式が、田舎に住んでそのこと(知的インフラの欠如)に不満を持っている人やかねてから問題だと思っている人の「思考のつぼ」にはまったからではないでしょうか。
 
ツイッターでだれかが書いていたとおり、それ(知的インフラが乏しいという事実)は都市部から移り住んだ人やUターン組からすれば比較的容易に見えることですから、その問題点に言及したことが多くの人に読まれることにつながったのではないでしょうか。
 
それを受けて、今回のコラムでは前回に続いて「知的インフラ」に関連したことを少し書いてみたいと思います。よろしければ、今回もまた、おつき合い下さい。
 
ド田舎人だからこそ持てた強い知的好奇心?!
 
さて、どこから始めることにしましょうかね。
 
まずは、こういう問いかけはどうでしょう。
 
人の種類を分ける場合の基準というかモノサシにはいろいろなものがありますが、みなさんだったらどんな基準を想像しますか。
 
背の高い人と背の低い人。
温厚な人とけんかっ早い人。
お金持ちと貧乏人。
文系人間と理系人間。
気の弱い人と気の強い人。
 
などなど、いろいろな分け方があると思うのですが、ここでは次の分け方をしてみることにします。
 
好奇心の強い人と弱い人(あるいは好奇心のある人とない人)。
 
実は、先日ある人と話をしていたときに出てきたトピックがこの「好奇心」でした。人にはいろいろなタイプがあり、その好奇心にもいろいろなものがあることでしょう。ただ、「知的好奇心」となりますと、どうでしょう。10人中どのくらいの人がある程度以上の「知的好奇心」をもっているのでしょうね。
 
「ド」がつくほどの田舎町に生まれ育ったぼくは物心ついたときからずっとそのド田舎から飛び出すことを目標としてきました。確か、10歳のころから「ぼくは大きくなったらアメリカに行く」とまわりにもいっていたような気がします(少なくとも自分自身ではそう思っていました)。
 
それは刺激が少なくて、まわりを見ても酒飲みが跋扈(ばっこ)して退屈な田舎の生活に辟易(へきえき)していたからです。でも、そういう環境だったからこそ、外の世界に飛び出したい、世界のことを学びたいという「抑えがたいほどの強烈な欲求」、つまりは知的好奇心が生まれたのではないでしょうか。もし、都会といったそれなりの環境の整ったところに生まれ育っていれば、そこまでの欲求は生まれていなかったかもしれません。
 
とはいえ、その人も指摘したとおり、だからといって田舎に住む人のすべてが燃え上がるような知的好奇心を持つかというと、そうではないですよね。血筋が少し関係しているのかもしれないし、親の教育や学校の先生などの影響もあるかもしれません。
 
でも、ぼくの場合、親兄弟・親戚の中に海外に住んだことのある人はいませんし、血筋に関してはほとんどまったく関係ないと思っています。ずっとさかのぼれば別かもしれませんが、そこまで立派な家系ではないのでわかりません。
 
ひとつ考えられるのは、兄貴が聴いていた洋楽の影響でしょうか。日本の音楽とまったく違った響きや英語という異なる言語に引き寄せられ、そうした音楽の背景になっている文化や言語を学びたいという興味と欲求が生まれたことだけは確かです。
 
知的好奇心に導かれて世界に飛び出す
 
それはともかくとして、知的好奇心のカタマリだったぼくはその後、東京の上智大学というところで英語と国際関係を学び、途中アメリカのシアトル大学に留学し、国際政治のほか、歴史や哲学、環境学、社会学などを片っ端から学んでいき(残念ながら、実になっているものはごくわずかですが)、マスコミの世界に入り、記者としての人生をスタートしました。でも、記者としての人生に疑問を持ったぼくは90年代の初めに再びアメリカの大学院への留学し、帰国後はIT業界に入り、アメリカ企業で働いたあと中国とイギリスに渡り、日本やアメリカとは違う世界に身を置いてきました。
 
よくもまぁこんなジグザグ人生を送ったもんだと自分でもときどきあきれることがありますが、過去はどうにもなりません。やり直せるのであればやり直したいことは多々あります。でも、それは無理ですから、諦めるしかありません。
 
アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式のスピーチで話したとおり、過去の出来事はそのときにはわからなくてもいつかどこかでつながるのかもしれません。つまり、「点がつながる」というやつです。ぼくの場合も、確かに、後になってつながってきた点というのはあります。確実にあります。
 
 
スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での「伝説的」な講演(日本語字幕付)
 
若いころは燃えるようにあった知的好奇心ですが、さすがに齢50を過ぎたとなると、昔ほどはないように感じます。もちろん、仕事が忙しいので、という言い訳はできます。でも所詮それは言い訳でしかありません。若いころの感性が鈍ることと同じで、それは仕方のないことかもしれません。
 
知的環境にわが身を置けたという幸運
 
昔ほどの知的好奇心はなくなったとはいえ、ときどき無性に知識を欲するときがあります。乾いたのどが水を求めるかのように......
 
先週末がそうでした。午前中床屋に行った帰りに立ち寄った本屋でまるで「発作」のように新しい知識が欲しくなったのです。買ったのは雑誌が4冊と新書が1冊。そのうちの雑誌3冊は農業問題に関する特集があったので買い、もう一冊は教育に関する特集記事にひかれて買いました。
 
さらに新書の方は、さまざまな分野で活躍するアメリカ人の専門家数名のインタビューが掲載された本でした。これ1冊で文明論や国際政治、脳科学、技術論などに関する第一級の知識が、たとえわずかだったとしても得られるのですから、買わない手はありません。
 
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今回購入した書籍
 
もちろん、買っただけでは知識は身につかないし、たとえ身についたとしてもそれが生きた知識として使えなければ、あまり意味はありません。ただ、少なくとも自分の知識欲を満たすために「投資」をするという行為は、そうした一連の流れの最初の行為であり、それをするということは自分の知的好奇心がまだ残っていることを示す証左といえるかもしれません。
 
幸い、ぼく自身はこれまで日米の大学や大学院も含めて、自分の知的好奇心を満たし、それを助けてくれる環境に身を置くことができました。そこで受けたさまざまな刺激が今の自分の人生、そして仕事に生きていることは間違いありません。
 
学びの場を田舎につくることの重要性
 
昔、途上国を援助することについて学んでいたときに出てきた表現で、こういうのがありました。
 
「途上国の人にとって大切なのは、先進国の人から魚(モノ)をもらうこと、もらい続けることではなく、自らが魚をとれる方法を教わることなのだ」
 
確かそんな表現だったと思います。
 
要は、慈善ではダメだということです。彼らが自立できるように魚のとり方を教えることの重要性を指摘した言葉なわけです。
 
その意味で、ぼくは特にアメリカでの学びを通して、自分なりの知的好奇心の満たし方を確立してきたように思います。いわば、知的世界における「魚のとり方」をそれなりに学んだということです。
 
ところが、前回のコラムで指摘したとおり、学びの環境が田舎には圧倒的に不足しています。それは田舎に住む人たち、特に頭がまだ柔らかいと思える若者にとっては悲劇的とさえいるかもしれません。本当に残念なことです。
 
ぼくが見たところ、知的好奇心が育つかどうかの境目は20代前半くらいのような気がします。それまでに、それを刺激される、養成される環境に彼らが身を置かなかったとしたら、その人はその後、知的好奇心をあまり持つことなく人生を送ることになる可能性が否定できません。もちろん、なんらかのきっかけで歳をとってからも燃えるような知的好奇心を発揮する人はいるのでしょうが......
 
前述したとおり、知的好奇心に満ちた人がどうやってそれを身につけたのか、その理由を特定することは難しいでしょう。もともと生まれ持った性質なのかもしれません。ですから、知的好奇心を刺激するような環境をつくったところで、結局、それによってもともとそれを持っていなかった人に知的好奇心が生まれることはないのかもしれません。
 
しかしながら、たとえ知的好奇心を持って生まれてきたとしても、それを刺激してくれる環境がないとしたら、せっかく持って生まれたものが発揮されないままで終わってしまう可能性があります。そうなれば残念ですし、地域にとっても大きな損失といえるのではないでしょうか。
 
少なくとも知的好奇心を持って生まれてきた人がそれを維持し、さらに伸ばすことを助け、さらにできることなら、それが乏しい人であっても、それを刺激してくれる環境に置くことで彼らの知的好奇心が少し高まるといった環境を田舎につくるということは非常に重要な地域の課題なのだという気がしてなりません。
 
前回紹介しましたとおり、ぼくは大隅多元塾という実験的な学びの場をこの田舎につくり、たとえちっぽけな試みだったとしても、そうした場を地域の人たち、特に若者に提供したいと思っています。
 
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テキストとして使った『20歳のときに知っておきたかったこと』(ティナ・シーリグ著)
いわゆる「目からうろこ」的な話が詰まった実にいい本
 
同塾の次の学びのセッションは来月の中下旬を予定しています。
 

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