本コーナーではコラムをはじめとして、きもつきを題材としたさまざまな読み物を用意しました。どうぞじっくり、ゆったりお楽しみください。
コラム(アーカイブ)
道隆寺再建を肝付再興のシンボルに
2012.12.26(水曜日)    古瀬徹(ふるせ とおる)
高山城址の近くに道隆寺というお寺の跡があることを知る人は、地元の人の間でも少ないようです。
 
121226doryuji01-2.jpg
きれいに整備された入口付近
 
この道隆寺については、薩摩藩が江戸時代後期に編纂した三国名勝図会にもその壮大な伽藍の様子が描かれています。南宋から日本にやってきた蘭渓道隆という禅僧が1246年(寛元4年)に建てたもので、蘭渓道隆はこの後、鎌倉に渡り、7年後の1253年(建長5年)には建長寺を開山しています。
 
大隅の地にこのような立派なお寺が明治2年の廃仏毀釈まであったとは――実に驚くべき歴史的事実です。
 
121226doryuji02.jpg
「琉球国僧之墓」とかかれた石塔もあります
 
その建長寺へは、去年東京での用事の際に行ってみました。「鎌倉五山」といって、鎌倉時代の学問の府のナンバーワンだったところです。隣には有名な円覚寺もあります。当時は、京都五山と並んで、日本の最高学府でした。
 
ちなみに、建長寺の近くでお昼にけんちん汁を食べましたが、その「けんちん汁」とは、建長寺で食べられていたものが一般の民衆にも食べられるようになったという説があります。
 
前述のとおり、蘭渓道隆は、中国の南宋の時代に招かれて日本に来た高名なお坊さんで、日本へ来て禅宗の布教に功績が大きく、天皇から初めて禅師の称号をもらったお坊さんです。
 
きもつきの底力
 
話を道隆寺に戻しますと、当時の都であった鎌倉に建長寺が建設される7年も前に、この地にこのような立派なお寺が建てられたということは、ごく最近になってようやく知られるようになったことです。
 
建長寺の吉田正道管長以下幹部の方々が肝付町へ何度かお見えになり、お寺の設計などで建長寺と酷似しているので驚いたということが南日本新聞の記事(2010年11月29日付14面)に報じられていました。
 
121226doryuji03.jpg
今年(2012年)12月11日道隆寺跡を訪れた建長寺の吉田管長
 
なぜ、800年も前にどうしてこのような立派なお寺がここに建てられたのか、という点から考えてみたいと思います。
 
まず、お寺を建てるということの意味を理解する支配者がいないと話が始まりません。当時、このあたりを治めていた肝付氏(四代の兼員=かねかず)が広い教養と統治への責任を持っていたのではないかと思います。
 
次に、その建設のための資金をどのように調達したのか、という点についてですが、広大な田んぼからの米作、海外貿易からの収入など、いくつかの備えがないと、これだけの伽藍を建設することはできなかったでしょう。
 
さらに、資金が調達できたとしてとしても、実際の建設工事をどのように行ったのかという疑問が残りますが、基本的な設計や工事の基本的な企画は、道隆自身や一緒に中国からやってきた専門家、あるいは京都あたりからの宮大工などの指導があったのでしょう。ですが、工事の隅々までを担当して仕上げたのは、当時の地元の職工・農民たちだったと思います。
 
こうして、立派な伽藍がたった後は、宗教的な意味ではもちろん、さまざまな学問・知識の中心として、多くの有為な青年たちや付近の住民が構内を訪れたことでしょう。建長寺には、現在でも地域や大学などのさまざまなサークルがかかわりをもっていますが、当時は学校というものがなく、マスコミもないのですから、多くの情報が道隆寺を介して飛び交ったことでしょう。
 
道隆寺がもたらした文化的影響
 
最後に考えてみたいのが、それほど高名なお坊さんがなぜこの地にやってきたのか、という点です。
 
それは、中国からの渡航途中、天候不順で内之浦湾に漂着して国見山系を越えて今の道隆寺跡付近に一行が到着したのでは、と思われます。「高山郷土誌」(平成9年版)には、1243年に内之浦に上陸したのでは、と書かれています(同書p.298)。
 
きもつき情報局のインタビューの第1回(10月1日付)で、高山CYOYAソーイング社の阪本英信社長が、地元の人たちの素晴らしさを20年におよぶきもつき生活から発言されています。私は、道隆寺を中心とした文化的な生活の長い蓄積が、よそ者を受け入れられる平安な人柄・土地柄を形成したのでは、と思うのです。
 
121226doryuji04.jpg
敷地内ではおびただしい数の石塔が発掘されています
 
そのように歴史的にも文化的にも重要な役割を果たしてきたと思われる道隆寺。長年、土に埋もれ、忘れ去られていた道隆寺を発掘整備した福谷平(ふくたに たいら)さんたちの尽力のおかげで、そこにスポットライトがあたり始めてきたことは喜ばしいことですが、それをさらに一歩進めていくべきではないのか――きもつきとの縁をもつことになった私は、そう思うのです。
 
つまり、道隆寺という立派なお寺を600年あまり守ってきた土地だという誇りを現代に取り戻すべきではないか、と思うのです。
 
具体的には、2046年には、道隆寺創建800年になりますから、それを目標に建長寺をはじめとして、全国から寄付を募って21世紀版の新道隆寺を建てるというプロジェクトはどうでしょうか。蘭渓道隆の名前を持つという名誉ある寺を地域の文化的な象徴として再建するのです。
 
そのころは、私は100歳を超えている計算なのでその雄姿をみることはできませんが、これから残りの人生の一部を、そんな夢のあるプロジェクトに捧げても悪くないかな、と思っているところです。もちろん、一人ではできませんので、多くの賛同者といっしょにやれたらの話ですが......
 

関連する記事

関連する記事
きもつき情報局で何度かご紹介している肝付町本城の道隆寺跡

あいにくの雨が降り続く11月29日の昼過ぎ、人々が肝付町

平成2年の進出以来、肝付町(高山地区)で操業を続ける高山

英語版ポータルサイトです
ポータルサイトを運営しているNPO法人のホームページです。

きもつき情報局で撮影・制作した動画をお楽しみください。
2017.08.05
土曜日
春陽会中央病院で「わくわく病院 お仕事 探検隊」の参加者を募集しています。
詳しくはこちらへ。
2017.08.04
金曜日
高山漁協の朝どれ市の開催は、8月・9月、中止となりました。 詳しくはこちらへ。
   
※このランキングは過去1か月以内のものです                       

肝付町の地域おこし協力隊メンバー5名によるブログです。