本コーナーではコラムをはじめとして、きもつきを題材としたさまざまな読み物を用意しました。どうぞじっくり、ゆったりお楽しみください。
コラム(アーカイブ)
「何もない」田舎で本当にないもの
2013.04.03(水曜日)    有留修(ありどめ おさむ)
日本、というより自分が生まれ育った田舎に戻ってきてはや6年。この間、何度も何度も聞かされたセリフがあります。
 
「ここには何もない」
 
県外や海外からやってきた友人を紹介すると
 
「こんな田舎に、こんな何にもないところに来てくれてありがとう」
 
というセリフをよく聞きます。
 
確かに、ぼくがいま住んでいる鹿児島県大隅半島の肝付町という町にはケンタッキーもマクドナルドもなければ、高速道路も鉄道もありません。文化センターはあるけど、映画館はなく、美術館やコンサートホールもありません。
 
物質的な側面から見れば、確かに「何もない」町なのかもしれません。
 
「でも」、と書くと、それに続いて「それは物質的な側面だけに注目した発言であって、そうでない見方をすれば、田舎は決して何もないところではない」というセリフが聞こえてきそうですが、ここではそういう方向で話をするのではなく、別の角度からの話をしてみたいと思います。(そういう話は以前のこのコラムでしていますし.....参考までにこちらの記事をご覧ください。.)
 
学びたい人が学べない環境
 
今回のコラムで伝えたいのは、田舎にないもののうちで「決定的にない」と思われるものです。
 
え?決定的にないもの?それって何よ?
 
あなただったら、うちの町のような田舎町に決定的に欠けていると思われる「何か」とは何だと思いますか?
 
ちょっと考えてみてもらえませんか。
 
130403woods.jpg
「何もない」どころか豊かな自然に満ちた田舎
 
あんまり話が長くなるとみなさん、退屈するかもしれないので、さっそく結論を述べましょう。
 
ぼくが見たところ、田舎で決定的に欠けていると思われるのはずばり、「知的インフラ」です。つまり、学習するための環境といいますか、学びのチャンス・機会です。
 
それがないがために、田舎が田舎として低迷しているのではないかという気が強くするわけです。
 
いくら田舎とはいえ、みんながみんな知的に怠慢なわけではないでしょう。若い人、お年寄りの中にも「学びたい」「自分を向上させたい」という、いい意味での上昇志向の人はいるはずです。
 
が、しかし、悲しいことに、そうした知的欲求を満たしてくれる環境や場が、田舎には決定的に不足しています。いや、ほとんどないと断言してもいいかもしれません。
 
ぼくが暮らす鹿児島県大隅半島には鹿屋体育大学という体育専門の大学が一校あるだけで、ほかの国立大学はもちろんのこと県立も市立も私立の大学もありません。
 
もちろん、行政がやっている生涯学習の類はあります。でも、申し訳ないですが、どこの講座を見ても知的に刺激を受けられるような講座はほとんど見当たりません。
 
これじゃぁ、田舎が停滞するのも当然でしょう。学びのないところに真の進歩はないと考えられるからです。もちろん、個人ベースでやれるし、やっている人もいることでしょう。しかし、それでは限界があります。学びを助けてくれる環境がやはり必要です。
 
その点、ぼくが住んだことのあるアメリカの都市やイギリスのロンドンなどには、大学が開放的なこともあって、ありとあらゆる種類の学びの場が用意されていました。その意味では「学びの天国」といってもいい環境でした。
 
そこまでは無理としても、学びの環境が少しでも整っていけば、この田舎であっても知的好奇心と向上心に満ちた人々が集い、いっしょに学び、ともに考えていくことで個人の生活が豊かになる一方、そういう人たちが増えていけば、地域はもっといきいきしたものになるのは間違いないでしょう。
 
でも、そういう場がない。決定的に少ない。
 
ぼくは、それこそが田舎にとっての最大の問題だと思うのです。
 
大隅に「知の風」を吹かせる試み
 
では、どうすればいいのか?というか、何ができるのか?
 
域外あるいは海外から大学を誘致するなんてことはまず無理でしょうから、自分たちのできる範囲内で何かをやる必要があるでしょう。鹿児島市あたりでやっている読書会や勉強会の類を立ち上げ、知的刺激の少ない大隅半島に「知の風」を少しでも吹かせる努力をする必要があるだろうと思います。
 
実際、そういう活動を始めようという人はぼくのまわりにもいます。そういう人たちといっしょになって、小さくてもいいから、とにかく何かを始めることが大事になってきます。
 
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山の中で見つけた苔(こけ)むす石
 
実は、ぼく自身も2011年の暮れあたりから小さな勉強会を細々と続けています。
 
名づけて「大隅多元塾」。その原点と呼べるものは、以前東京に住んでいたときに始めた「多元塾」です。マイクロソフトを辞めた直後でしたので1998年から1999年にかけてのころだったと思います。自宅を開放して、東大や早稲田、慶応、上智といった大学の学生相手に「現代版私塾」のようなものを開いていたのが、この「大隅多元塾」の原点です。
 
大隅は当然、大隅半島のことですが、この「多元塾」という言葉の意味について少し解説しましょう。
 
 
日本人の苦手な多元思考
 
実は「多元塾」の「多元」には「多元的思考」という意味が込められています。そこには、ぼくがこれまでアメリカの大学や大学院で国際関係を学び、加えてイギリスや中国で仕事をしながら学んだことが盛り込まれています。
 
他国で暮らす中でぼくが常に問いかけてきたのは、「日本のいいところは何か」「日本が他国に誇れるものはなにか」ということ。つまり日本の比較優位でした。
 
その結果、ぼくが行き着いた結論は、広い意味での文化の力、いわゆるソフトパワーといわれる力でした。逆に、ぼくが学んできた外交や政治の世界では、日本社会の成り立ち、その中で生きてきた日本人の行動パターンやメンタリティの問題から、日本に比較優位はあまりないという結論に達しました。
 
つまり、政治や軍事といった地政学的なハードの分野において、日本のパワーは欧米や中国などに比べてどうしても見劣りするというか苦手、というのがぼくの結論でした。
 
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多民族都市・ロンドンの多様性を象徴するチャイナタウンで撮影した一枚(2002年)
 
そのあたりのことについてはまた別の機会に述べるとして、長年海外で暮らし、仕事をしてきた経験から、日本(人)の最大級の弱点と痛感したのが多元的な思考能力でした。
 
これはある意味、仕方のないことなのかもしれません。比較的単一の民族が他民族とあまり交わることなく何世紀も生きてこられたわけですから、行動パターンや行動倫理がワンパターン化するのは仕方がありません。複数の価値基準を持つ必要性を感じることなく、長年生きてきたからです。
 
もしかすると明治以前の日本には今よりも大きな多様性があったのかもしれません。明治以来の中央集権国家づくりの中でそうした多様性が消されていったのかもしれません。しかし、それにしたって所詮同じ民族の中における多様性であって、世界の多民族国家といわれるところに比べれば、その多様性には限界があるのだろうという気がします。
 
そうしたワンパターンな生き方、あり方は、明治以来の歴史を見れば、一目瞭然です。戦前は軍事力、戦後は経済力という、いわば一元方程式で日本はよい意味でも、悪い意味でも力を発揮してきました。グローバル化が叫ばれる今の時代に必要なのは多元方程式を解く力です。これまでのワンパターンな生き方ではとても世界を渡っていけない時代となっています。それは個人にとっても、国にとっても同じことです。
 
つまり、これからの時代はますます他国の人たちと共存していくことが必要なわけです。その力を身につけていく必要があるわけです。日本人にとって苦手と思われる「異なる基準で他人の行動を理解する」という思考パターンにおけるグローバルスタンダードが求められる時代になっているのです。
 
田舎に多様性を持ち込むための努力
 
しかしながら、そういう芸当は一朝一夕にできるものではありません。つい先日東京を訪れ、外国人の姿が目立つのを見て、東京という都市の多様性を垣間見た気がしますが、それだって、ぼくがこれまで暮らしたことのある世界のほかの都市に比べると「まだまだ」といえるレベルなのかもしれません。
 
東京でさえそうなのですから、田舎となれば、さらに多様性の欠如した社会ということになります。残念ながら、それは認めざるを得ません。
 
生き物の世界でよくいわれることですが、多様性がある社会ほど生き延びる可能性が高いわけであり、これからの日本、そしてぼくらの暮らす田舎が生き延びていくには、この多様性の問題を避けて通るわけにはいきません。
 
多様なものの考え方に始まり、多様な価値観を受け入れ、最終的には多様な人々を受け入れる度量をこれから身につけていかない限り、日本の、そして田舎の将来は暗いとまでぼくは思っています。そこにしか現状を打開する根本的な解決法はないと見ているからです。
 
その意味で、ぼくが2年前に立ち上げた「大隅多元塾」とは、大隅という田舎に知的刺激の受けられる場をつくるとともに、日本人一般が苦手とする「多元的な思考パターン」を身につけるための実験的な学びの場だといえます。
 
それを始めたからといって、すぐに効果がでるなんてことは思っていません。導き方の問題もあるでしょうし。でも、過去に何度か学びのセッションをやってみて、参加した人たちから、「ものの見方が、とらえ方が変化した」とのコメントをもらうことができました。
 
ぼくからしてみれば、そのささやかな学びの場に参加した人たちがそこで何かを感じ、学びとり、今まで気づかなかったことに目が向くようになれば、それでいいのです。換言すれば、今までの無意識的な生き方を改め、より意識的な生き方に近づいていってくれれば、それで満足なのです。
 
そうすることで、今まで気にもとめなかったまわりの環境が新鮮に思え、何も価値がなかったと思えたことやものに価値を見出せるようになるのではないでしょうか。そして、そのことで自分の人生を豊かにし、そして地域をよくしていくための何らかのヒントが見いだせるのではないでしょうか。
 
そんな願いをもちながら、ぼくはこの「大隅多元塾」をこれからも細々と続けていきたいと思っています。
 
同塾の対象者は20代から40代までの若手の行政マン、ビジネスマン、農家などです。興味のある方は同塾のウェブサイトの「問い合わせ」を通じて連絡してください。2、3名程度なら受け入れ可能だと思われます。
 

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