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コラム(アーカイブ)
忘れ得ぬ恩人・二階堂進先生
2013.03.28(木曜日)    中川十郎(なかがわ じゅうろう)
私の人生で忘れ得ぬ方に、郷土の先輩・元自由民主党副総裁で官房長官や建設大臣、科学技術庁長官など自民党の数々の要職を歴任され、一時は首相候補にも名前が挙がった二階堂進先生がおられる。
 
40年前の1972年、日中国交正常化交渉では得意の英語を駆使され、田中角栄首相の片腕の官房長官として活躍された。旧高山町の前田にある二階堂屋敷は文化7年(1810年)頃の建築といわれ、国の重要文化財として保存されている。
 
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肝付町の観光名所となっている二階堂屋敷
 
二階堂先生と私との関係は二階堂さんが高山中学校のPTA会長をしておられた時に私が生徒会長をしていたご縁で始まった。
 
戦後間もない昭和25年に先生が米国を訪問される際、高山中学生が米国の中学生に英文で手紙を書けば、持って行ってやるとの話があった。「これからは英語が国際語として重要になる。田舎の高山の中学生も英語をしっかり勉強し、目を世界に向けなさい」とアドバイスされた。
 
やがてロサンゼルスの女子中学生から返信の手紙が来た。英語辞書を引きながら文通交信が始まった。写真も交換した。中学生というのに高校生ぐらいの容貌だ。米国の中学生はなんと大人びて、しっかりしているのだろうと驚いた。
 
この時の英語の勉強が私が商社マンとして海外に20数年間駐在し、60か国以上を訪問し、商談をした際の英語の基礎となった。
 
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生家の庭に建つ銅像
 
高校進学に際して桂教頭先生から「君は英語が好きだから、鹿児島・谷山に新設され、英語のほかにフランス語も教え、国際教育に力を入れているラサール高校を受験したらどうか」と勧められた。
 
ラサール卒業後の大学への進学については二階堂さんの後の高山中学校PTA会長を引き受けていた父が二階堂さんに息子を学問の都として落ち着いた雰囲気の京都と、東京のどちらで勉強させたほうがよいかと相談したらしい。
 
それに対して二階堂さんは「将来貿易商社で活躍する希望があるなら、情報の集まる東京を勧める。東京外国語大学がよいのでは」とアドバイスがあったと父から連絡があった。
 
東京外国語大学に合格後、私の受験中の身の回りの世話のために東京へ来ていた三女の姉といっしょに二階堂さんの衆議院議員会館事務所に御礼のご挨拶にうかがった。
 
「自分の米国の大学での留学経験からしても人生において大学の勉強がきわめて大切だ。英語をしっかり勉強し、悔いのない大学生活を送るように」と親身のアドバイスをいただき感激したのを今でもはっきりと覚えている。
 
私は大学卒業後、念願の商社へ就職。33年間商社で英語を活用し、さらに大学教師に転身してからも国際貿易論や貿易英語を教えている。私の国際的な仕事の基礎は60年前の高山中学校での英語の勉強である。
 
そのきっかけをつくっていただいた二階堂さんには感謝に堪えない。
 
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苦学の後に政治家として大成した二階堂先生
(『己を尽くして 私の履歴書 二階堂進』 日本経済新聞社刊より)
 
その二階堂さんとは不思議と思わぬ場所での思いがけない出会いが多い。
 
ラサール高校の夏休みで帰郷する途中には、垂水港でばったり二階堂さんに会った。国会議員の仕事で、東京に上京されるときだった。「東京の女子大で勉強され、高山高校の先生をしておられたお姉さんは元気か」と聞かれた。「姉は近くラサールの寮の栄養士として転勤するようです」と答えた。「高山高校で娘がお姉さんにお世話になった。よろしく伝えておいてくれ」と伝言された。
 
次は、商社マンとしてブラジル・リオデジャネイロに駐在している時だった。
 
JICA(国際協力機構)資金による無償援助プロジェクトでパラグアイに農業用ブルドーザー、噴霧器、農薬の売り込みに出張途中の飛行機の中でばったり二階堂さんに会った。日本・パラグアイ友好議員連盟会長としてパラグアイに出張途次であった。南米で同じ飛行機の中で偶然お目にかかる不思議なご縁に驚いた。
 
そのころブラジルで牧場を開拓され、懇意にしていた小野田寛郎元陸軍少尉ご夫妻とパラグアイの親日的なアルフレド・ストロエスネル大統領との面談に同席した。小野田さんがフィリピンのルバング島から日本に帰還された時、自民党の官房長官をしておられたのが二階堂さんだった。
 
その小野田さんが先日、私の母校、高山中学校で講演後、永野和行肝付町長に二階堂さんのお屋敷での食事に奥様ともども招待された。帰還当時、大変お世話になったと二階堂官房長官のことをしみじみとしのんでおられた。
 
ニューヨーク駐在時には、仕事でワシントンに出張した際、ホテルで車を待っていたところ、二階堂さんとロビーでばったり出会った。
 
「商社マンがどうしてワシントンにいるのか」と質問あった。ちょうど国際情報会議があり、そこでの情報収集と国際人脈開拓に出張中である旨お答えしたところ、「これからのビジネスマンは世界中の情報が集まるワシントンに時々出張し、経済のみでなく国際政治情報も収集することが大切だ。しっかりやりたまえ」「それにしても中川君とは世界のあちこちでよく会うね。これも高山中学校のご縁かね」とびっくりしておられたのを思い出す。
 
二階堂さんは旧制志布志中学校を卒業後、意を決して南カルフォル二ア大学に留学された。夜はホテルで皿洗いのアルバイトをし、苦学しながら米国の大学を卒業されたことは伝説になっている。郷里・高山の立志伝中の偉人である。その英語力は米国人も驚くほど素晴らしいものであったと聞いている。旧高山町から米国留学された最初の方である。
 
中学生時代に二階堂さんのご配慮で英語に興味を持った私は、二階堂さんのご恩に万分の一でも報いたいとの思いで、教育の現場でグローバル時代を担う青少年の教育に力を注いでいる今日、この頃である。
 

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