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歴史探訪
第7回 宮下編 第4部 笠野薬師寺跡
2015.02.03(火曜日)     きもつき情報局
きもつきの歴史をたどる歴史探訪。第7回宮下編の第4部では、笠野薬師寺跡(肝付町富山)を紹介します。

解説は引続き肝付町文化財保護審議会会長の海ケ倉喜通(かいがくら よしかず)さんです。



なお、以下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。

和気清麻呂ゆかりの地・笠野薬師寺

ここは笠野薬師寺というお寺があった跡です。説明板に書いてあるとおり、43代の元明天皇の時代に勅願、天皇から勅(みことのり)が出ました。

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笠野薬師寺跡の説明板

日向に3カ所、三薬師といいますが、3カ所薬師寺を建てなさいという命令です。

その1カ所がここの笠野薬師であと2つはどこにあるかといいますと宮崎の高岡と帖佐(姶良市鍋倉)です。姶良にあったのは米山薬師といいます。

この3つが建てられたのが和銅元年、西暦の708年ですので(町内では)一番古いお寺じゃないかと思います。

ここで有名なのは和気清麻呂です。

(769年に)坊さんのなかで一番偉い位にあった道鏡という人が天皇になろうとしたんですね。

今の大分の八幡宮、宇佐八幡宮で占ってもらったら道鏡を天皇にしなさいといわれたということで。

それを今度はおかしいと疑って、和気清麻呂が宇佐神宮まで確かめに行ったところ、宇佐神宮ではそういう占いが出たことはないと、嘘だったということがわかりました。

それを告げたのですが、道鏡の力が強いものですから、清麿の姉(和気広虫)は岡山に、清麿は大隅に流されました。

そのときに波見の港か志布志に着いて、このお寺にお参りして何泊かしたということになっています。

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寺跡に立つ仁王像

その後、牧園(霧島市)にある和気神社に清麿はいましたが、道鏡が失脚して、また都に呼び戻されて復職したそうです。

わたしが資料館に(勤めて)いたころに、清麿がここからどういう風に牧園に行ったかというのを牧園の人たちが調査に来たことがあります。

おそらく昔はここから海(鹿児島湾)の方、高須(鹿屋市)の方に出て、それから船で渡るか陸路で行ったかだったのではないでしょうか。

薬師というのは健康の神様ですね 、薬師さん。病気にならないようにとかお参りにきていたところです。特に命にかかわることですから信仰の厚い仏さんでもあります。

六地蔵と肝付氏の墓

これは六地蔵といいます。地蔵さんが本当は彫り込んであったんですね。

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寺跡にある六地蔵

ところがその地蔵さんは、ここの丸くしているところにあったんですが、なくなっているんですね。

あとから、不動明王とか阿弥陀如来とか、六人の名前を彫り込んであります。

ここには肝付氏の石塔もあります。肝付氏がここも治めていたわけですから、肝付氏とも関係があるわけです。

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寺跡に残る石塔(一部)

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