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歴史探訪
第1回 塚崎編 第7部 肝付氏と伊地知氏
2013.09.05(木曜日)     きもつき情報局
きもつきの歴史について紹介する歴史探訪の第1回塚崎編の第7部では、肝付氏と垂水を治めていた伊地知氏の関係について解説します。今回訪れたのは肝付町塚崎の池の近くの林で、かつては宝泉庵と思われるお寺があったところです。敷地内には肝付氏の墓が並んでいるなかでひとつだけ伊地知氏の墓があります。

肝付町文化財保護審議会会長、海ケ倉善通(かいがくら よしかず)さんが、その墓が見つかった経緯と建てられた時代背景について解説します。なお、下の文章は解説を書き起こしたものですが、話し言葉のため、若干の加筆・修正が加えられています。



伊地知重興の墓

この場所は昔、宝泉庵というお寺があったところだと郷土史家の竹之井敏先生と2人で推定をしているのですが、はっきりした記録はありません。

ここにある墓は肝付氏の墓の中では古い方の墓です。ここの墓の中で、ひとつだけ石塔の形が変わっています。

これ以外の墓は同じような形をしていて、盛光寺にある肝付氏の墓も同じような形なのですが、これは全然違います。垂水を治めていた伊地知重興(いじち しげおき)の墓です。

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伊地知重興の墓石

私が歴史民族資料館に入ったころ(平成4年)、垂水の歴史関係の人たちが、伊地知重興という人の墓が高山にあると垂水市史のなかに書いてあるとのことで何回も訪ねて来られました。

それを書かれたのはここの花牟礼出身の永井彦熊という歴史の先生でした。その方は垂水に移住して、垂水の市史を編纂されました。

そのなかに簡単に「伊地知重興の墓は高山・塚崎にあるといえども不明」と書いてあります。たったの2行くらいです。

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肝付氏の墓と伊地知重興の墓(奥の左から3番目)

垂水の人たちは伊地知重興の墓が塚崎にあるはずだということで訪ねて来られたのですが、私も入ったばかりのことでわかりませんでした。そこで調査を始めました。

塚崎と書いてあるので、先ほど見てもらった辺りのヤブの中から向こうの山の下まで調べました。だいぶ広いです。通れないようなところはナタを持っていて道をつけながら調査をしました。古い墓が2カ所くらいありました。

この伊地知重興というのは垂水を治めた最後の殿様です。殿様のお墓として建てたにしては、この墓は貧弱で、殿様の墓のようには見えません。しかし伊地知家の墓であるというのはこの頭の部分の形からわかりました。

これを垂水に持って行って、向こうの文化財の係の人たちにも見てもらい、垂水の城の跡にある伊地知家の先祖の墓と比較してみて、間違いないということになりました。

なぜ高山に建てたかといいますと伊地知重興の娘が肝付家に嫁に来ていたからです。そして垂水には重興の墓はありません。

墓の建てられた時代

(重興が)亡くなったのはちょうど肝付氏が最後に島津氏に降伏した、その時期(1580年)です。当時、肝付と伊地知とそれから根占(ねじめ)の3つの国が同盟をして島津に対抗して戦をしていました。最初に根占が、その後、伊地知が島津に降伏しました。最後に残ったのは肝付です。

その中で伊地知(重興)と根占(重長・しげたけ)は不審な死に方をしています。(島津の)配下になって鹿児島に呼ばれて宴会に出た後、伊地知は垂水に帰ってから死んでいます。だけど根占は帰り道の途中で死んでいます。

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供養塔について解説する海ケ倉さん

一説には毒殺されたのだろうといわれているのですが、はっきりしたことはわかりません。
そういう死に方を2人はしていますが、肝付氏だけは(島津家から嫁いだ)阿南御前(おなみごぜん)がおりましたので殺されていません。阿南御前のおかげで生きながらえているんですね。

そういうことで、(調査に)20年ぐらいかかって見つかったお墓です。全部ここに埋まっていて、それを掘り出して並べたのがこれです。

そしてお寺はその下に平坦地がありますが、そこにあったようです。その先に記念碑が建っていますが、あれはこのお寺が廃れてだれもいなくなった後、盛光寺の坊さんが来て再興をしたときの記念碑です。ちゃんと坊さんの名前が彫り込んであります。

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再興の記念碑

肝付氏が分家してこの地(塚崎)に来たのが元寇のあった頃(文永の役・1274年、弘安の役・1281年)で、墓はそれ以後に建てられたものです。

盛光寺の中で一番古い墓は兼重(かねしげ)公で、建てられたのは1300年代です。ほかのものは1400年代です。

ここには応永年間(1394年~1427年)の頃の墓が7人分あります。3つくらいが戦国時代、肝付氏が滅ぶすぐ前までの墓です。

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