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きもつきレポート
鎌倉・建長寺訪問記 その1
2013.05.13(月曜日)     きもつき情報局
「とにもかくにも、それだけ大覚禅師が偉かったということです」

新緑まぶしい春の鎌倉に建つ建長寺を訪れた「肝付町道隆寺一行」を歓迎する宴で、そう述べて吉田正道管長をはじめとする建長寺の関係者に心からの感謝の言葉を伝えたのは今回の建長寺訪問団を主催した肝付町の元役場職員、福谷平(ふくたに たいら)さんです。

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建長寺の門の前で撮影された記念写真(中央左が吉田管長で右隣が福谷さん)

肝付町高山が布教の出発点

すでに過去の記事で何度かお伝えしましたとおり、肝付町高山の本城(ほんじょう)には鎌倉時代の1246年、南宋の禅僧、蘭渓道隆(=大覚禅師)が建てた道隆寺というお寺の跡があります。これは同じく蘭渓道隆が鎌倉に建てた建長寺の創建(1253年)よりも7年ほど早く、道隆寺こそが蘭渓道隆が日本に来て初めて建てた禅寺ということになります。

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「雰囲気が似ている」(吉田管長)とされる道隆寺の入口

といっても建物の類は一切なく、わずかに観音堂があったとされる場所におびただしい数の石塔群や墓石があるだけです。残念なことに、明治初期の廃仏毀釈でほぼ完全に破壊されてしまったのです。

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掘り出された数々の石塔や墓石(琉球国の僧侶の墓もあります)

それから長い間、人々の記憶から忘れ去られ、土に埋もれていた道隆寺を初めはほぼ単独で、文字通り「掘り起こした」のが、この道隆寺の跡地の地主である福谷さんです。昭和59年から整備を始め、ほぼ30年をかけて、現在のようなすばらしい環境まで復元しました。

その活動は次第に世間の知るところとなり、福谷さんの献身的な活動に心を動かされた人々の尽力によって、蘭渓道隆が建てた最大の寺であり、鎌倉五山の中心的存在である建長寺の吉田管長の知るところとなりました。そして平成21年からは管長をはじめとする建長寺の関係者が毎年、肝付町にある道隆寺を訪れています。

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道隆寺をお参りした建長寺の関係者(2012年12月11日)

今回、鹿児島からの訪問団が組織された背景には、昨年(2012年)12月の吉田管長らの道隆寺訪問があります(詳しいレポートはこちらにあります)。道隆寺でのお参りを終えた同管長らを福谷さんが実家に招き、お茶や自家製の団子などでもてなしたその席で「今度は肝付町から建長寺を訪問させていただきたいですね」という提案があり、それを吉田管長がその場で快諾されたことから実現することになったのです。

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手づくりの郷土料理を味わう吉田管長(中央)と福谷さん(左から二人目)

管長自らが出迎え

5月8日から10日にかけての二泊三日の建長寺訪問に参加したのは肝付町やその他県内の地域、さらには県外に住む26名(途中参加も含む)。昨年12月の福谷さんの実家での歓迎会に参加した人や福谷さんが声をかけて参加した人たちです。

午前の便で鹿児島空港を発った一行は、午後から鎌倉の大仏やお寺などを観光してからほぼ予定通り午後4時半ごろ、建長寺に到着しました。出迎えるのは吉田管長をはじめとする建長寺の関係者です。

管長はバスが到着する10分ほど前から大きな門の前で待ち、一行が到着し、バスから降りてくるとまず主催者の福谷さんとあいさつを交わし、その他のメンバーに対してねんごろに歓迎の言葉をかけていきます。訪問団が滞在中、「お世話になった福谷さんをはじめとする鹿児島の人たちをお迎えできて念願がかないました」と吉田管長が何度も繰り返して述べたとおり、管長は鹿児島からの客人を鎌倉に迎えることができて本当にうれしそうです。

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互いにあいさつを交わす吉田管長(左)と福谷さん

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新緑まぶしい境内に入る参加者

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訪問団を自ら案内する吉田管長

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途中で境内の建物の説明を受ける参加者

管長らが先導するなか、一行は広い境内に建てられた荘厳で堅実な雰囲気を持つさまざまな建築物を見ながら、宿泊施設となる大庫裏(だいくり)と得月楼(とくげつろう)と呼ばれる建物に入っていきました。入口には「鹿児島県肝付町道隆寺御一行投宿」と書かれた大きな看板が掲げられています。

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宿舎の入口にかけられた看板(右)

通されたのは建物の2階部分で、かなりの広さがあります。説明によると、そこには200名ほどが寝泊まりできます。今回はそこに女性陣が泊まり、数の少ない男性陣にはそれに隣接した建物の一室が割り当てられました。

大広間の手前部分にはテーブルと座布団が並べられ、お寺のスタッフによってお茶と建長寺特製のお茶菓子が配られていきます。奥のテーブルの左端に吉田管長と福谷さんが座り、ひとまずお茶を飲んで落ち着いた後、吉田管長から次のような短いあいさつがありました。

「みなさん、遠方からお越しいただいて本当にありがとうございます。わたしら何遍もおじゃましてみなさんにはたいへんご厄介になっています。こうやってゆっくり泊まりがけで来ていただいて、鎌倉をゆっくり見物していただきたいと思っております」

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大広間でひとまずリラックス

ひと通りの説明が終わった後は、ひとまず旅の荷を解き、男性陣の一部はさっそく風呂に入る一方、その他の参加者は歓迎会が始まるまでの時間、お茶を飲みながら、しばらくゆっくりしました。

ちなみに併設された風呂はまるで温泉施設のように広く、快適なものでした(ただし、温泉ではありません。聞いたところ、鎌倉には温泉はないということでした)。みな口々に「とてもお寺に泊まっているとは思えない」といいます。実際、設備が新しいせいか、どこかのこじゃれた旅館に泊まっているような気分です。

すべてが修行の手助けに

ゆっくりくつろいでいる間に午後6時となりました。歓迎会の時間です。

大広間のある2階部分から1階に下りて、風呂の手前にある板張りの部屋が食堂です。最初はどこに腰掛けていいのかわからないため、多少うろうろする人がいるとすかさず建長寺の高井正俊総長が「どんどん前のほうからかけていってくださいね。そうすれば後から来た人が座りやすいですから」といって、みなさんがスムーズに腰掛けていくことを促します。

そのときはまだ実感していなかったのですが、お寺での生活はテーブルにつくといったごく単純なことに神経を集中し、意識して一つひとつの行為をするということの積み重ねであることに、あとで気づくことになります。高井総長のこのときの言葉は、その最初の洗礼だったということです。

さて、テーブルに全員がつき、目の前に精進料理が並べられていきます。少し意外だったのは料理といっしょにビールやお酒が用意されていたことです。特にお酒は建長寺独自のブランドということで、今回の滞在中はそれをたくさん飲むことになりました。

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美しく盛られた精進料理

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多摩地方でつくられているという建長寺のお酒「巨福(こふく)」

管長の鹿児島人に対する特別な思い

すべて用意が整ったところでいよいよ吉田管長の歓迎の言葉です。

「ここ何年か、ご縁をいただいて福谷さん宅にも4回おじゃまをしています。(道隆寺は)まことに感慨深いところでして、入口の雰囲気が鎌倉に似ています。(大覚禅師は)33歳のときにはるばる中国の四川からお越しになって日本に33年間滞在されました。そして鎌倉や京都、信州など日本各地をまわり禅をお広めになった。今と違って船で何日もかかって京都へ行かれたわけでしょう。ありがたいことです。それが今では簡単に移動できるようになって、ありがたみを感じなくなってしまいましたけれども、今回こうして道隆寺のある肝付町からはるばるお越しいただいて本当にありがとうございます」

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歓迎のあいさつをする吉田管長

それを受けて、今度は訪問団を代表して福谷さんから次のような返礼の言葉がありました。

「肝付町の道隆寺は建てられてから767年、鎌倉の建長寺は760年です。長い時間と長い距離の流れにのって今も生きているということは、蘭渓道隆さんがいかに偉かったかということです。その教えが鎌倉で今なお続いているというのは、それがいかにすばらしかったかの証です。今回の訪問は前回管長さんたちが道隆寺を訪問された際に管長さんが快くお引受けいただいて実現しました。これもまたご縁ですので、これを契機に建長寺と道隆寺がいかに密接に関係しているかということを認識していただきたいです」

二人のスピーチに加えて、参加者の中から数名が発言したほか、建長寺と道隆寺を結びつけるうえで重要な役割を果たした研究者の鈴木佐(たすく)さんなども発言する一方で、吉田管長は建長寺特製のお酒を手に持ち、参加者の席をまわりながら、全員に気さくに話しかけていきます。

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参加者に気さくに話しかける吉田管長

吉田管長と会話を交わした参加者の一人、益山貞一郎さんが管長に単刀直入に聞きました。

「管長がどうしてそこまで道隆寺にこだわるのか。その理由を教えてください」

すると、それに対する管長の答えは、肝付町(そして鹿児島)の人たちにとって感激するものでした。

「鹿児島の人で感心したのは、ほかにはない非常に実直な人が多いということです。だから、明治維新をああいうふうにおやりになったのは、やっぱりこういう人たちの力だったのだなぁとつくづく思いました。それがいちばんです」

その答えを聞いた益山さんが思わず管長の手を取りながら、管長に伝えます。

「ありがとうございます。それしかないんです」

ほかのテーブルでどんな会話が交わされたのか、そこまでは把握できませんでしたが、きっと蘭渓道隆という800年近く前の日本にやってきた偉いお坊さんのことを「酒の肴」にして、話が盛り上がっていたに違いありません。

訪問団のメンバーにとって記念すべき建長寺での最初の晩は、そのようにして更けていったのでした(男性陣はその後も部屋に戻り、夜中まで語り合いました)。

その2につづく

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